まー坊のゆるゆる療育日記

3歳で広汎性発達障害と診断された長男まー坊の療育の記録。知的にはボーダーラインです。

診断されるまで

まー坊の発達を心配し始めたのは、2歳前のこと。

同じ月齢の子ども達は言葉の爆発期といわれる時期でどんどん発語が増えている時でした。

まー坊はというと、その頃発語はほとんどなく、言えるのはせいぜいワンワンとか、でんしゃとか、バナナとかそのくらい。宇宙語みたいなのをよく喋っていました。指示もほとんど通らず。指差しも1歳後半まで無かったし、クレーンもあったし、バイバイは逆さ。しかも、横目でフェンスをみながらよく走ってました(自己刺激)。目が合わないと感じたことはないのですが、弟のむぅよりは合いにくかったかもしれません。

毎週育児サークルに参加しており、リトミックや手遊びなど様々なイベントに一緒にいきましたが、とにかくじっとしていられず、教室を脱出していたのが印象に残っています。

今思えば、自閉的要素が盛りだくさんなのですが、当時の私はこんなに元気でよく笑う可愛い子が障害児‥なんて思いもしませんでしたし、受け入れられる心構えもありませんでした。でもたしかに何か感じる違和感。この子は他の子となにかが違う。

心配にはなった私は市の発達相談に行き、臨床心理士さんと3ヶ月に1度面談を開始。しかし毎回「様子を見ましょう」のみで何の解決にもなりませんでした。(この時にまー坊の特性に気がついてあげていれば、もっと早期療育に取り組めたのに!と今でも悔やまれます)

その後、2歳半で言葉が出始め、周りより遅いながらも、2語文〜3語文と加速的に言葉が増えていき、言葉が増えると同時に横目や逆さバイバイなどの自閉傾向も消えていったので、大丈夫なのかなーと思い始めていました。

3歳1ヶ月の時に幼稚園入園&隣の市に引っ越し。入園して数ヶ月して先生から「まー坊くんは集団行動ができません。」との報告が。まー坊の様子を見にいった私はとてもとてもショックを受けました。活動中に教室を飛び出しウロウロする。無理矢理連れ戻そうとすると癇癪をおこす。この子は今何をすべきかわかっていない。。。そして周りの子との社会性の違いにも驚きました。

このままだと、この子には到底普通級は無理だ。今とにかく療育を開始せねば!!

翌日からすぐに私は動きました。市の発達相談に出かけ、クリニックに行き意見書をもらう。発達支援センターで療育の支援計画を立ててもらう。デイサービスの見学に行くetc...。引っ越した先のT市は発達障害の支援をわりに手厚くやってくれる自治体だった為、運良くすぐに療育を開始できました。

療育を受けるのに必要な診断書をもらいに初めてクリニックを訪れた際に、「広汎性発達障害」だと言われました。今思えばこの診断名が彼のことを知るはじめの一歩だったと思います。

こんな感じで私の療育ママ道は開かれたわけです。